いろんな台湾 いろんな風景
台湾生活を写真で記録

2016/07/19

うーむ

10日ほど台湾を不在にしておりました。

義母の入院→退院からの諸々で、一人では心が折れんばかりのプレッシャーだったのではないかと思いますが、さすがオット氏、頑張ってくれていました。

義母は予定通りに退院となり、その後は24Hヘルパーさんに付き添いをお願いしながらの、義父のいる老人ホームでの静養がスタート。

お金っていうのはこういう大変な時に使うものですね。老人ホームへの入所金に加えて、専属のヘルパーさんをお願いすることで、出費としては結構なものですが、それでもオット氏の負担を大幅に軽減してくれたものと思います。

老人ホームの代金が月3万~3.5万元。ヘルパーさんは、入院時は2200元/日、老人ホームに移ってからは2400元/日。興味のある方は計算してみてくださいww

ヘルパーさんが義母に付き添ってくれた期間は計15日間。今週の日曜から、付き添いなしで引き続き老人ホームです。

週三日のリハビリの他に、オット氏がホームから近い病院へもリハビリに連れて行くそうです。リハビリは始まったばかり。でも、当初私が想像したよりも回復は早いように思います。

しかし、うーむ・・・。

入院中から、老人ホームに入っての数日間は、カテーテルっていうんでしょうか、尿道に管を入れていたんですね。そしたら、尿の仕方を忘れてしまったようで!外しても尿ができない!!

尿意がわかないのか、トイレに座っても出ない、出せない、でも時間が経つと(溜まっているので)おなかが痛い!という状況に。

なので、一旦は外したカテーテルを戻すことに。

ヘルパーさんが付き添っていたこともあり、甘えや依頼心なんかも膨らんだのかもしれません。

その後、再度カテーテルを外し、再度トイレトレーニング。

その間に、今後、外労(東南アジアのヘルパーさん)を雇う事も見越して、病院に巴氏量表(日本語ではバーセル指数というらしい)を出してもらい、術後まもなくカテーテルもしていたことから、外労を申請するには十分な低い数値がでたのですが・・・・

そう、外労を申請できます、今なら。

でも、申請したとして、どこで暮らすか。

私たちのマンション?私たちのマンションの近くに小さい部屋を借りる?六亀をリフォームして暮らす?

なんだかどれもピンときません。

とにかく親孝行なオット氏は、外労を申請して、狭いながらも私たちのマンションで暮らして、認知症がもっと進んだらまた老人ホームに戻るのではどうか、と思っているそうですが。

うーむ・・・

でも、ヘルパーさんが離れて、一人でのホーム入居となった義母さん、夜から深夜にかけて3-4度、深夜から明け方にかけても3-4度と、とにかく頻繁にトイレに起きます。不眠を疑うほどに。

こんな状況で同居となったら、私たちの生活が崩壊するような気がしますよねぇ。

台湾の老人ホームというのは、日本が個室型なのとは違って、介護する側にとって合理的なように(かどうかはわからないけれど)半オープンな部屋になっていて、今のホームは、完全個室ではありません。

一人部屋、三人部屋、五人部屋、六人部屋とあり、大部屋の入り口には扉がありますが、扉は常に開けられていて、個室はカーテン一枚での仕切り。

だから、物音や声が響くんですね。

義母は就寝時に明かりがあるのを嫌うので、一人部屋にしましたが、トイレは外。何度もトイレに行くので、隣の住人からクレームが・・・トホホ。

これまで専属のヘルパーが付いていたのが、急に一人にされたのと、3分前のことを覚えていられない事もあり、昨日は、オット氏が早朝、義姉が日中見舞いに行きましたが、夜に覚えているはずもなく。

私と娘ちゃんが夜7時過ぎに着くと、がっくりと肩を落とし泣きそうな顔でぽつんと座っていました。

そして、看護師さんには 「息子に捨てられた」 と何度となく訴えていたようで・・・・

そういえば、義父が倒れてからもそうでした。夕方から就寝するまで、鬱々となる傾向が強いようです。

さて、これからどうなるのやら。

祖父母というのは、孫を見ると不思議なほどに喜びますね。娘ちゃんのおかげで鬱々とした気分が晴れたのか、孫(娘ちゃん)に付き添われてリハビリに励む義母。

ほんとに、これからどうなるのかしら。

2016/07/04

7月


今日の夕方の一枚。

7月になりましたね。

イスタンブールに行きたいと書いた翌日にテロがあり、ショックのあまり胃腸炎になりトイレと仲良しぎみの日が続いたかと思えば、首から右肩にかけての痛みと右手の指のつっぱりで、箸を持つと手が小刻みに震えるという若干やばい感じの日々が続いております。

なんでしょねー。劣化ですかねー。

娘ちゃんは夏休みに入り、家族で夏休み♪と思っていた矢先の昨日。

義母、自宅浴室で転倒。

オット氏に電話があり駆け付けてみると、とりあえず立ててるし、打撲ぐらいかと思っていたんですよね。

しかし、あまりに痛みを訴えるので、高雄の大きめの病院まで連れていくことに。

軽度認知症の義母。病院につけば、なぜ痛みがあるのかを忘れ、私は不整脈なんですよ、なんて話を知らない人としていたり。外科に行かないといけないのに、内科に並んだり。私は健康!大丈夫、立てるわ!!といって、オット氏を困らせ、挙句六亀に帰りたいとゴネ、泣き、それはもう大変だったそうです。

結局どうだったのかというと、右側の股関節を骨折していました。

放っておくと大腿骨頭が壊死してしまうので、すぐに手術すべきといわれ、即入院。翌日の今日、人工股関節とりつけの手術が行われました。手術は半身麻酔で、2時間弱。比較的簡単なもので、手術も成功。

命にかかわる大事態ではなかったものの、問題はこれから。

うちでは今、老人ホームに入っている義父の一切を引き受けていますが、予測はしていたものの、義母もか…

あら?これが世にいうミドルエイジクライシス?

危機迫る感じ?

5日後に退院予定だそうです。

退院後は自宅介護を検討していた風のオット氏でしたが、共稼ぎの嫁的には、200%無理かと。。(黙)

長らく音信不通だった義姉が自宅介護してもいいといってくれているようですが、義母と過去に大きなけんかをして仲違いをした彼ら。身体的な介護に加えて、今回の転倒を機にどんどん進んでいくと思われる認知症に果たしてどのくらい耐えられるのか。

自宅が安全、やっぱり身内が一番!ってそれホント?なかなかそうは思えないんですが。

物事を悲観する傾向の強い私としては、どこでであれ、義母の現状を考えると自宅介護には賛成できないのであります。

義母が望んでいる実家への帰宅については、実家の六亀には大きな病院もなければ徒歩圏内に買い物できるところがないし、そもそも実家に戻るにはまず水回りを含めたリフォームもしないと、たとえ外労(東南アジアのヘルパーさん)を雇っても、あそこでは生活が成り立たない。

義母の認知症がわかってから、この日が来ることを予想はしていたものの、夏休みが来ることに舞い上がっていたので、冷水を浴びせられたようなショックでございますww

退院後は安静にしなくてはならないし、食事や世話の一切、環境も考えると、私たちの家からも近い、義父が入っている老人ホームに、とりあえず入って静養してもらうのが一番かな、と。

そんなわけで、早速お部屋の確認をしに行き、と、今日もまた目まぐるしく一日が終了。

義父と義母、15年前に離婚してるんですけどね、この期に及んで同じホームに入ることになるのか・・・、まぁ、まだわかりませんけど。運命なのか、でも皮肉なもので・・・。